紡ぎデモンストレーション

昨日は糸紡ぎのために鎌倉へ行ってきた。
場所は、鎌倉駅から徒歩10分程のところにある「匠」というお店。
お店のある通りは、鎌倉八幡宮へ続く若宮大路や小町通りとは線路を挟んで反対側にあり、静かな住宅街。人通りは少ない。それでも、10mほどおきにぽつんぽつんと洒落たブティックや雑貨屋さんがあり、通りの途中に有名な銭洗い弁天・源氏山公園への入り口があるので、地図を持った観光客が時々通り過ぎる。
お店の玄関前は車1台分くらいのスペースがあり、そこに紡ぎ機を置き、通りに面して座る。
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先週教わったように、足、右手、左手に気持ちを集中して紡ぐ。車部分は眠り姫に出てくるようなものと違うが、動く原理はまったく一緒で、下のペダルを踏みながら、上のボビンで巻き取っていく。(下にある2つのボビンは紡ぎ終わったもので、紡いだ2本の糸をもう一度撚る時に使うらしい。)
前回とは違って少し気持ちに余裕もあり、しかも時々通りを歩く人が立ち止まって見学、「これって糸を紡いでるんですよね?」「難しそう!」「お上手ですね」と声をかけてくれるので、楽しい。遠足の小学生たちも「こんにちわ」と挨拶して通り過ぎる。やわらかい日差しの中で糸紡ぎ・・・・ああ、とてもいい気分。途中仲間と交代しながら、6時間はあっと言う間に過ぎた。
私が初めて紡いだ毛糸-結構いい線いってるんじゃない?
来週はマフラーにとりかかる予定。
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55歳の決心

手織りを習い始めたのは去年の今頃だ。その数ヶ月前、私の誕生日が過ぎた頃から、「このまま漠然と年取っていっていいのかなあ」と思い始めていた。その時ちょうど55歳。ぞろ目。何か新しいことを始めるのにも縁起がよさそう。 でも私にできる新しいことって何? 今後ワクワクしながら続けられること。 昔からやりたいと思っててできなかったこと。・・・ずっと自問自答する中、ふと思い浮かんだのが手織りだった。
「お金かかりそう」「場所とりそう」の2点でずっとあきらめていたことを思い出した。「お金」は塾のアルバイトで貯めたものがそのまま使わずにおいてある。毎月お給料が振り込まれるたびに、娘のところへ行ける回数がまた増えたと思いながら貯めたもの。単純に計算して娘のところへは20~30回は行ける額。死ぬまで毎年行けると思うだけで安心感があった。でもこの際、思い切って自分のために使おう。「場所」は息子が使っていた部屋がある。広くはない我が家、「将来息子・娘がその家族を連れてやってきたら、どうなるんだ、いる場所がないよ。」とも考えたが、1年に数日(将来はもっと少なくなるだろう)しか来ない人たちのために、部屋を空けておくのはもったいない。来たときだけ、スペースを作ればいいんだから。え~っい、決めた!
月謝も、織機も自分の貯金で払うつもりだが、やはり夫には承諾してもらわねば・・・
「私ってこれまで、着物やブランド品、宝石とかの類を買ってほしいなんて一度も言ったことないよね。世の中にはそういう奥さんって結構いるみたいよ。宝石の値段と比べれば、織機の50万円は決して高くないよね?」このせりふで、相手はぐ~っとこちらに傾いた。
夫も定年まであと2年。夫だってきっと昔やりたいと思っていて出来なかった何かがあるはず。
その時がきたら、決して反対しないと心に決めている。にこにこと「どうぞどうぞ、やってください。応援するよ。」と言ってあげたい。

今週のその他

夫はジョギング(30km)に出かけているので、帰ってくるまでの間にすこしだけ。
夕べ、やっとバジルソースを作った。もうバジルの葉っぱが黄色くなりかけていて、あわてて作るところはやっぱり私らしい。
オリーブオイルとバジルの分量はかなりいい加減。でもすごくおいしかった。
数日前買ったクレイジーソルト(600円は高い)で塩味をつけたのもプラス効果。salt
マルタイ棒ラーメン
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数年前、山でこの棒ラーメンを作って食べている人を見かけ、かさばらなくていいなあと思ってた。
その頃我が家の近くのスーパーには売ってなくてあきらめていたが、去年ふいと現れ、思わず4個ほど買った。どういうわけか不定期にしか売られていない。
私は特に九州味(白いとんこつスープ)が好き。マルタイは九州にある会社だからなのか、とてもおいしい。
これって全国区なのかどうかわからないが、結構ファンが多いよう。

喜ぶ顔を思いながら・・・

これまで、子供たちに対して、できるだけ「痒いところに手が届かない」親であるように振舞ってきた。そのおかげかどうか、子供たちは二人とも現在海外に住んでいる。メールや無料インターネット電話のおかげで、コミュニケーション不足はないが、時々は「ありがたい親の存在」を示したくて、物を「送る」。
息子は上海に住んでいる。一時帰国も度々あり、向こうでは日本食材も不自由なく手に入るので、送るものと言えば、彼が帰国の際の忘れ物が多い。
一方、娘が住んでいるのはスウェーデンの南端にあるマルメ。そこは、日本人も少なく、日本的な料理をしようと思うと中国人か韓国人経営のお店で調達するしかない。娘もスウェーデンで日本的生活を送ることはほぼあきらめていると思われるが、それだけに、日本から送られてくる品物はきっと「有難い」はず。
この間から娘のために織っているウールマットがそろそろ出来上がりそう(のこり20cmほど)なので、一緒に送る品物のことを考え始めている。
一度には思いつかないので、台所の隅にダンボールを常時置いておき、「彼女が喜びそう」な物に出会うと、買ってポンポン入れていく。
今まで送ったことのあるものは、
 アクエリアスの粉末・炉端漬け・煎餅・ラーメン(中華三昧)・紅しょうが・即席漬物用調味料・うどんなどの食料品の他、
 お雛様・着物一式・化粧品・ファッション雑誌 など
国内であれば、畑の収穫物やら、果物やらの生ものも送ってやりたいのだが、海外となればやはり乾物類が多くなる。ところがお茶・海苔・椎茸などは日本人友達からおすそ分けをもらったりして、十分間に合っているようだ。むしろ「ちょっと重いかな」とためらうようなものが喜ばれる。
(そういえば、昔我々がニューヨークに住んでいたとき、日本への出張から戻った夫の上司に「どら焼き」をいただいた時の感激は今でも忘れない。)
現在段ボール箱に待機中の品物は
「マルタイ棒ラーメン」と紅しょうが(2度目)
紅しょうがはスウェーデン人の彼が気に入っているらしい。棒ラーメンは、昨年暮れ、娘と彼を伴い大山1泊登山をしたとき持参して好評だったもの。娘たちには「登山+ラーメン」がインプットされたらしく、彼らがこの夏オーストリアを旅行したときも、この棒ラーメンを持って行き、その写真も送ってきてくれた。
いまのところ娘からのリクエスト品はなく、多分聞いても、少し控えめに言ってくるだろう。
ダンボールがいっぱいになるにはまだまだ余裕がある。しばらくの間、自分用と娘用の2つのアンテナを使って買い物を楽しもうと思っている。

プールネーム

水泳教室で、ちょっと不満に思っていることある。
それは一緒に泳いでいる仲間の名前を知らないことだ。知っているのはほんの一部だけ。
 
私が通い始めた頃、まずレッスンが始まる前に、自分の選んだレッスン名の小さな箱の中にメンバーズカード(写真付き)を入れる。レッスンが始まると、まず先生はそのカードを一枚ずつ取りながら名前を呼ぶ。最初は誰が誰さんかすぐにはわからなかったが、何度か繰り返していると自然に覚え、お互い名前で呼び合うことができた。
 
ところが1年半ほど前から「個人情報保護」とか言って、カードは入れなくてもよくなった。従って名前も呼ばれなくなり、その後新しく入って来る人の名前は、直接本人に聞かない限り知る機会がなくなった。
「あの人、バタフライが上手なのよ。」
「えっ、どの人」
「ほら、あの割と小柄で、色白で、ぽっちゃりしてる人」   外見の特徴か水着の模様で説明することしばしば。
 
みんな名前を知ってほしくないのだろうか。ほとんどプールでしか会わない人たちだから、どうでもいいって言えばその通りなのだが・・・。
そう言えば、電話帳の個人名版に名前を載せない人が増えているし、小学生は登下校時、名札をはずしたり裏返しにするよう指導する学校が増えている。
「名前を知ってもらう」プラス面より、危険度の方が高いからだそうだ。
 
実は、私を名前で呼んでくれる人はかなり多い。
やはり通い始めた頃、先生の点呼はみんなと一緒で一度きりなのに、私の名前を呼ばれる頻度が他の人より何となく高いと感じていた。
先生は他の人には「あの、もう少しお腹を引っ込めて」と言うのに、私には「○○さん、もう少しお腹を引っ込めて」となり
仲間も「あなた」とか「ねえねえ」じゃなく「○○さん」と必ず名前で呼んでくれる。私はまだ仲間の名前ちゃんと覚えてないのに・・・??。
しばらくして理由がわかった。私のスイミングキャップだ。 息子が高校生時代学校で使用していたものを、そのまま使っていたため、キャップにははっきりと○○と名前が書いてあったのだ。
 
「みんな名前を見えるところにつけようよ」と呼びかけているのだが、まだ名前つきキャップを目にしていない。そう言う私もその後何度か新しいキャップに替え、色も黒っぽいので名前はつけていない。今度買うときは絶対名前が書ける明るいキャップにしようと思っている。
今度は苗字じゃなく、プールネーム「Yuko」でどうだろう。

糸つむぎ初挑戦

手織り教室で、初めて糸を紡いだ。
洗浄・カーディング(紡ぎやすく毛を梳くこと)を済ませた柔らかいフワフワ状態の羊毛を、「眠り姫」に出てくるような糸車で紡ぐ・・・子供の頃憧れていた作業。ところが、何せ初めてのことで、まったくうまくいかない。右足でペダルを踏みながら糸車をまわす。両手で糸車に繋いだ糸を持つ。左手はまだ撚れていないふわふわ状態で、右手は糸に撚れていく状態。右手の指先で、回転しながら撚れていく糸を少しずつ案内穴に送る。左手の羊毛は右手方向に引っ張られるので、手は逆方向に引く動作をする。(ああ、書いて説明するのはむずかしい。) 手に集中すると、足が止まる。右手に集中すると左手が止まる。
ああ、私ってこんなに不器用だったっけ・・・
先生と生徒仲間のNさんがそばで機織りしながら会話をしている。聞こえてはいるものの、反応できない。ほぼ1時間、ほとんど沈黙状態で悪戦苦闘。紡いだ糸は、いちおう一本の糸になってはいるものの、ものすごいでこぼこ状態。こんなの糸として織れるのか疑問。
 
今週・来週にかけて、先生の作品展示会が鎌倉で開かれており、私は次の月曜に糸紡ぎデモンストレーションの係りを仰せつかった。「ええ、こんなへたくそでいいんですか?」と聞いたら、先生曰く「あら、初心者の人がやっているところをお見せするのもいいんじゃない?」  心の広い先生でよかった。  
 
手織りを習おうと思ったとき、頭にあったのは、「機織り」オンリー。ところがこの手織りの世界も奥が深い。織りはもちろん、染め、糸紡ぎ全部をこなして一人前らしい。もちろんそれぞれの分野のプロ、職人の方たちもいるが、我々のような趣味の手織り人たちは、欲張りにも全部楽しむのだ。(織りをやっている人の中には、綿や染色用の藍を畑で育てている人、羊を飼ってる人までいる。) 高じればすごいことになる。 
 
まだ入り口に立ったばかりで、行き着くところがどこなのか皆目わからない。初挑戦はまだまだ続く。 

もったいない

私は、母や姉から時々「あなたは、ケチだからね」と言われる。ケチというと何だか卑しいので、倹約家と言って欲しいのだが。
滅多に高価なものは買わないし、子供たちが小さい頃の衣類は手作りだったし、最近は母の着物をリフォームして素敵に蘇らせたりしているので、多分彼女たちはその「褒め言葉 」として「ケチ」と言ってくれているのだと勝手に解釈している。
昨日、コーラスのティータイムで。
コーヒービンの残りわずかな粉をスプーンを入れて、一生懸命すくおうとしている仲間を見て、
「わたしだったら、ビンの中にお湯入れちゃうかも・・。」と、恥も外聞もない私のやり方を披露すると、
「私は、マヨネーズはさかさまにするのはもちろん。最後は容器を切っちゃう」
「そういえばケチャップって最後まで使い切らないうちに、賞味期限きてしまうよね。」
「あ~ら、だから私はお弁当用のちっちゃいの買うわよ。」
「お刺身についてるわさびとか、ラーメンのスープも余ると取っておくわ。」
「お味噌の容器を冷蔵庫の保存容器として使ってる」・・・・
たった5分ほどだったが、主婦の倹約自慢で盛り上がった。
最近、「もったいない」精神が広がりつつあるものの、新聞のちらしやTVコマーシャルが消費意欲を刺激しようと毎日押し寄せてくる。かなり圧迫感を感じる。
私が好きな、刺し子やパッチワーク、裂き織りは、貧しくて新しい布を買えなかった庶民が、時間と愛情だけはたっぷりかけて産み出した民芸品だが、「もったいない」精神の傑作と思う。これらに心惹かれるのも、ついに手織りに手を染めてしまったのも、消費万歳、便利・スピード万歳に対して心が抵抗しバランスを取ろうとしているからかもしれない。
私の「もったいない」から生まれた手織り作品が下の写真。
布を織る際、始まりと終わりの部分で経糸が20cm~40cmほど余る。それらを全部捨てずに1本1本繋いで織った。結び目のでこぼこが、手紬風で思っていたよりずっと素敵に仕上がった。「誰にプレゼントしようかな?」と思っただけで、ワクワクする。
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明るい食卓

日曜日、食卓を照らすペンダントを新しいものに取り替えた。
随分前からスイッチの接触が悪く、「危ないから、もう取り替えたら?」と再三夫に言われていた。
今住んでいる家が新築された時取り付けられたものだから、もう30年近く我が家の食卓を照らし続けてくれた。少し愛着もあったが、思い切って処分。
その夜一晩だけだったが、照明のない食卓はやっぱり物足りなかった。
翌日、ホームセンターで、シンプルなものを購入。即、取り付けにかかったところ、コードの長さが合わない。プラグを付け直おそうと、再びホームセンターへ。ところがそのプラグも合わない(よく考えて選ばなかった)。またまたホームセンターへ。夫も私もぴりぴり状態で、お互いをなだめながら、取り付け完了。
付属品で付いていた電球は100w(パナボール)。これまで60wの電球を使っていて、それで十分と思っていた。
ところが、当たり前だけれど100wは何と明るいこと!  この日の夕飯は今までよりもおいしそうに見え、おかげでさっきまでぴりぴりしていた二人の機嫌もどこへやら。電球1個でちょっと幸せな気分になれた。 やっぱり明るい食卓はいい。
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歌う

上の子が幼稚園の時、下の子をおんぶしてママさんーコーラスに参加していた。
「おんぶしてまで・・」という声が耳に入り、へこんだ時、「かゆいところに手が届くような育て方より、お母さんがいつもハッピーな笑顔をふりまいてる方が、子供にとってずっと幸せなんじゃないか」と夫が背中を押してくれた。コーラスの楽しさを知ったのは高校の時だが、今の「歌う」原点はやっぱりこの時だ。以来、コーラスをずっと続けている。週1度の練習は、私の右脳の運動日。
 
昨年、ママさんコーラスとは別の、あるグループに誘われた。
家族全員○○音大卒の「K」一家。お父さんは中学の音楽教師、お母さんは数箇所のコーラス団体を指導、長男はすでにプロの声楽家、次男はその卵。その音楽一家がファミリーアンサンブルを作り、我々のコーラスグループと同じく、毎年行われる市の合唱祭に出場している。ところが、昨年は長男さんの本業の本番が重なることが数ヶ月前に判明。そこで、ピンチヒッターとして、私にお声がかかったのだ。
 
「素人の私が、そんな・・・」とびびっている私に、「大丈夫よ、家族みんなが賛成してるから」とKさん。
実は、このKファミリーのお母さんは、幼稚園コーラスで共に子供連れで参加していた仲間。
そして現在は我がママさんコーラスグループの指導者でもある。で、結局引き受けてしまった。(本当に頼まれると断れない性格)
 
本格的に声楽の勉強なんかしたことがない・家族だけの素晴らしいハーモニーを壊してしまいそう・みんなの足を引っ張ってしまうことになりはしないか・・・不安はいっぱいだったのに、練習が始まってみれば、おもいやりいっぱいのK家族に励まされて、すっかりグループの一員に。
幼稚園でワ~ワ~、ギャーギャー泣いたり笑ったりしていたKファミリーの子供たちは、すっかり大人になっていて、私をやさしく指導・励ましてくれる。「老いては子に従え」とあきらめ半分に人は言うけれど、頼もしい子供たちに手を引かれるのはむしろうれしい。
私には階段を一挙に3,4段上がるようなレベルなのだが、それでも楽しいと思わせてくれるKファミリーに本当に感謝している。
 
だから、家で練習がてら、よく歌う。
ピアノで音を確認しながら歌ったり、CD鳴らして一緒に歌ったり、new walkmanつけて歌ったり(もちろん家の中で、窓締め切って)。
そして車の中でもよく歌う。(実はここが一番歌いやすい)
一人で車を運転しながら、大きな口をぱくぱく開けているおばさんがいたら、それは私です。
 
 
 

今週のその他

今週、ふと思って、でも書けなかったことを、簡単に。
 
木曜日、漢字教室で先生初体験。
生徒は2人。フィリピン出身の女性(滞日1年)とボリビア出身の男性(滞日3年)。
二人とも漢字教室は初めて。先生も生徒も初めてで、いったいどうなることかと不安に思いながら、とりあえず、
漢字検定10級のテキストを使いながら始めた。以前、塾で小学生や中学生を教えていたことがあったので、
度胸だけを頼りに、何とか1回目は無事に終わった。
テキストに「下」という字が出てきた。書くのはいとも簡単。でも外国人にとってこの読み方を覚えるのは難しい。
  下・・・ 「木の下」  「川下」   「下が(げ)る」 「下る」  「下りる」 「下校」 「廊下」
英語を覚える方がずっと簡単に思えてくる。
 
この日、久しぶりに実家に電話をする(携帯で)。特に用件はなく、ただ声を聞こうかなあと思って。
最初に父がでる。
「元気?」
「おお、そっちは息災かね?」
「うん。このところ、お天気良くていいね」
「ああ。おい、代わるぞ」
とすぐに母に代わる。母とはその後3~40分だらだらと話した。父との会話は続かない。
 
夫も同じ。
娘との会話はたいてい1時間を超える。でも夫は、一度も割り込んだことはなく、話したい素振りも見せない。
ただにこにこと娘と会話している私を見ているだけ。
「娘との会話って苦手?」と聞くと
「う~ん。おまえみたいにだらだら話せない。」
 
多分、「お父さんに、○○について意見を聞きたいとか相談したい」って言えば、喜んで受話器取るのだろうけど・・・・。