2007年元旦

新年
P1010053 の補正
明けまして
おめでとうございます
今年も
どうぞよろしく
お願い
申し上げます
Yuko
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箱根日帰り温泉入浴

箱根露天風呂から見た富士山(12月30日)
 
息子のリクエストに応じ、3人で箱根へ出かけた。 日帰り入浴ができるホテルはインターネットで検索。
思いのほか車の混雑もなく、お昼過ぎ到着。 
まずお風呂に入り、その後ホテルのダイニングルームで昼食を取る。 ホテルの庭を散歩し、体を少し冷やして再び入浴。
露天風呂からの景色は写真の通り、素晴らしいものだった。 夕食は家で「鯵のたたき丼」。
 
本日
夫と息子は丹沢日帰り登山へ。
朝7時、2人を山の中腹まで車で送った。 細いくねった林道のドライブは緊張の連続。 時々富士山、相模湾が見えるポイントがあり、夫と息子が声を上げるが、私は景色を眺める余裕なし。 二人が帰宅する夕方まで、ほんの少しのんびりできそう。 午後から「煮しめ」を作る予定。
 
これが2006年最後の日記になる。
 
読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。 どうぞ素晴らしい新年をお迎えください。

やっぱりフル稼働は中止

初日頑張りすぎて、少々疲れた。
疲れた理由その1。
息子が「牡蠣」を食べたいと思ったので、夕食は「牡蠣鍋」「牡蠣ご飯」と決めていた。夕方、さて「牡蠣」を買おうと、近くのスーパーへ行こうとしたら、自転車がない。息子が出かけるのに乗っていってしまった。 仕方なく歩いてスーパーへ。ところが、スーパーのどこを探しても「牡蠣」がない。あるのは山のように積まれた、かにやたこ、かまぼこなどお正月商品ばかり。何としてでも「牡蠣」と思っていたので、別のスーパーへ歩く。 幸い見つけた。 少量しか入っていないパックが4個しかなかったので、それ全部を買ってきた。 疲れたけど、牡蠣鍋も牡蠣ご飯もVERY GOOD!
 
疲れた理由その2。
息子が手織り機を見て、「写真撮りたい」とぽつり。 先日茶色のマフラーを織り終え、機には糸がかかっていない。 せっかくのリクエストに応えたいと思い、急いで経糸の準備をした。 朝10時ごろから準備をして夜10時ようやく織れるように。 息子に写真を撮ってもらった。
 
疲れたので、もうフル稼働は中止。
今朝はいつものようにのんびりペース。 それにしても現在8時半。誰も起きてこない・・・・。
 
 
 
 
 
 

フル稼働開始

息子が昨夜上海から帰国した。 4日までの休暇。 夫は今日から何と8日まで休み。
平日の日中は誰にも邪魔されることなく、自由に過ごしている私にとって、今日から4日まではフル稼働期間。 夫には、「休み期間中、できるだけ自分のことは自分でしましょうね」と言い渡す一方、海外で独り身で暮らしている息子は何かと不自由していると思い、出されたリクエストについつい応えようとする。夕べも早速リクエストが出た。
 
「温泉へ行きたい」・・・明日、箱根日帰り入浴に決定
「牡蠣が食べたい」・・・ノロウィルス騒ぎで牡蠣業者が泣いているとか。店頭の値段も少し安くなっているよう。 今夜は牡蠣鍋に牡蠣ご飯。
「機織りをしているところを写真に撮りたい」・・・・2日前、茶色のマフラー4本が織りあがり、機から糸をはずしたばかり。 次の糸の準備を急がなければ。
 
そして、予想していた通り息子は「部屋が寒い」の連発。 私も夫もそんなに感じないのに・・・。エアコン・ホットカーペット・ファンヒーターすべてonにして、部屋を暖める。 しばらくはこれまでののんびり生活をしばし忘れ、甲斐甲斐しく働く母親になるつもり。
 
写真は我が家のマホガニーのピアノ(記事とは関係なし)

娘がゴッドマザーに

娘が先日、彼女の甥(娘のパートナーの妹夫婦の赤ちゃん)の洗礼式にゴッドマザーとして付き添った時の写真を送ってきた。
 
ゴッドマザー、ゴッドファーザーは子供が成人するまで、子供の後見人として、成長の責任の一端を担う重要な存在らしい。 赤ちゃんの母親側からゴッドマザーを、父親側からゴッドファーザーを選ぶのだそうだ。  
 
娘がスウェーデンへ渡って約5年・・・すっかりスウェーデン社会に溶け込んでいる様子が伺える。
それにしても、クリスチャンでもなく、しかも、スウェーデン社会では同棲・結婚の違いがないとは言え、同棲中である彼女をゴッドマザーとして選んでくれたパートナー一家の娘への信頼に感謝している。 
 
念のため・・・娘たちは来年6月正式結婚の予定。 赤ちゃんはドレスを着ているが、男の子。

のんべい一家が飲むお酒は・・・

ブログ友達utaさんの今日の話題は「ワイン」。 コメントに我が家のお酒事情を書こうと思ったら、長くなりそうだったのでこちらに書くことにした。
 
我が家族は全員「飲める」。 今年のお正月は、息子・娘・娘の彼の3人が帰国していたので飲む人間は合計5人。この5人が毎晩食事の際に飲むお酒の量たるやかなりなもの。 今年は息子だけだが、年末が近づくにつれ「お酒の準備」が気になっていた。
先日、パソコン指導の帰り道、ちょうどお酒のディスカウントストアを通るので、年末年始の自宅用お酒を買った。
 
写真左から
日本酒・・・「菊水一番しぼり・ふなぐち」・・・通常日本酒はアルコール15度。なのにこの菊水は何と19度もある。従って値段も少々高め。缶入りが駅の売店などに売っているらしいのだが、瓶入りをおいている店は滅多にない。インターネットで販売店を検索したら、市内の大型ショッピングモールの食品スーパーにあることがわかり、2週間前買っておいた。 
 
ウイスキー・・・ジョニーウォーカー(黒)・・・昔に比べウィスキーは飲まなくなっている。だが登山で飲むウィスキーは格別。 今回登山は予定していないが、夜遅くなってから映画を見ながら、ちびりちびりも楽しい。
 
ワイン・・・一時、ワインが体にいいと聞き食事にはいつもグラス1杯のワインという日が続いた。最近ご無沙汰していたが、ちょっと飲みたくなったので買ってしまった。
 
右端はしそ焼酎・・・北海道の焼酎「鍛高譚-たんたかたん」・・・これも夫がどこかの飲み屋で出合ったお酒で人気があるとか。私は日本酒より焼酎の方が好み。熱いお湯で割って飲む。
 
もちろんビールも買った。
この他にも在庫としてもらい物の紹興酒、ワイン、ウィスキーがある。
 
これでお酒の準備はOK。 最近はお互い健康を気にしているので、量は控えめになっている。 毎日違う種類のお酒をほどほどに楽しめるのはお正月ならでは。 息子の帰りが待ち遠しい。
 

楽に泳ぐ

「週に5日プールに通っている」と言うとみんな「ええ~?」と驚く。 行き帰り含めて1日平均2時~3時間のプール通い。 私としてはもうこのペースに慣れているので、特に負担に思うこともなく、水泳の時間帯に友達との約束を入れることは滅多にない。 ところが先週は「今年最後の集まり」が多くて、泳がない日が5日間も続いた。
 
しばらく水泳を休んだからと言って体調が乱れる、悪くなるということはないものの、何となく体がウズウズする。 今月のレッスンは今日を含めてあと3日しかない。 その後は再び1週間ほど年末・年始のお休みが入るので、この3日間は何としても行かねば。
 
これまでレッスンでは4泳法を満遍なく教わっているが、この4種の好き嫌いは人によって別れる。
私の好きな順位は
 1 クロール 2 バタフライ  3 平泳ぎ  4 背泳
 
背泳は仰向けになっているので顔に水がかからず呼吸はいつでもできるはずなのに、力が入っているせいか疲れる・・・苦手。 平泳ぎは最近になってようやく人並みの速さで泳げるようになったものの、まだまだ力が入り過ぎ。 みんなが嫌うバタフライはなぜか私の得意種目・・・トビウオになったような気分・・・体が柔らかいのだろうか・・・。 クロールは泳ぐ頻度が高いせいもあり、やはり一番楽に泳ぐことができる。
 
こうして並べてみると、好きな順番は力の抜け具合順でもある。
下腹部の筋肉を引き締める一方、肩の力を抜く。 抵抗の少ないフォーム=軸がまっすぐ・・・・まるで上手な生き方のコツのよう。
 
今日のレッスンは苦手な「背泳ぎ」・・・楽に泳げるコツを早く身につけたい。

父の誕生日

12月28日は父の誕生日。 82歳になる。 
 
クリスマスの後、そして年末ということもあって、いつの間にか過ぎてしまい、「誕生日おめでとう」と言ったこともないし、プレゼントを贈った記憶もない。 自分のことに忙しかったせいもあるし、テレもあった。
 
先日運転免許証を更新したばかり。 視力検査でひっかかったのだが、めがねの調整でどうやらパスしたと言う。 でも眼科の検査では「白内障」なので手術をした方がいいと言われたらしい。 高齢者の運転が時々問題になるので、「危なっかしいなあ、もう止めた方がいいんじゃないの?」と言うと、母は「こんな田舎では車がないと本当に不便なのよ。遠出は出来ないけど、近くのスーパーに行くだけでも車があると助かる」と言う。 母にとって、父はアッシーとして重要な存在なのだ。
 
畜産大学を卒業後、家畜専門の獣医となり、その後母に精肉店を開業させ、商売の成功とともに、獣医は引退。 もともと「商い」に向いている性格だとは思っていなかったが、商売を姉夫婦が継いだ後、「町会議員」に立候補。 何期かつとめて引退した。 必ずしも一本の道をまっすぐに歩いて来たとは言えない父。 だが、その時々、人の出会いとチャンスを生かしながら、能力を存分に発揮してきたのではないかと思う。
 
自分の息子には、長男という理由で家業を継がせることなど一切考えていなかった父。
なのに娘には「女は結婚して家庭に入るのが一番。学問はいらない。」と言った父。
 
新しい考えの人かと思うと、古い。 革新的かと思うと封建的。 若い頃は「何故」と反発もしたが、結局父の言ったとおりになり、幸せな毎日を過ごす私。
「好奇心旺盛」「お人よし」「話好き」「商いに徹することができない」・・・・DNAはしかと受け継がれている。
 
今朝、茶のマフラーを郵便で送った。
喜んでくれるといいのだが。

Kさんの骨折

外とのお付き合いがすべて終了し、ほっとしていた木曜日の夜、丘の上のKさんから電話がかかってきた。 Kさん宅へは11月末に伺い年賀状作成のお手伝いをしたのだが、今度は何だろう・・・。 
 
「せんせ(←私は一応パソコンの先生ということになっている)、私、手を骨折してしもうてね・・・」
「えええ! いつ? どこで?」
「12月初め、横浜の駅で、こけましたの。」
「あらら・・・」
「それでね、パソコンのマウスをうまいこと使えませんの。せんせ、来てくれはらへんやろか?」
「じゃあ明日の○○時に伺います」
 
翌日Kさん宅に伺った。
 
骨折したのは右腕。 骨折した直後はどうにも一人で生活できないので、電車で3駅離れたF市に住む息子さんの家で世話になっていたとか。 大袈裟なギブスは外されていたものの、まだ右腕は小さいギブスで固定されている。 手先は何とか動かせるようになったものの、力が入らない。  右手が不自由だと、パソコンどころか、炊事・食事・入浴なども大変。 ガーゼの交換も一人では無理なので、ヘルパーさんに来てもらっているそうだ。 

 
「コンサートの帰りだったんです。 いい気分になってたんやろね。 駅で切符を買おうと思って走ったらこけました。 もう、あわてたらいけませんね。気持ちは若いつもりでも、体はやっぱり年寄りでしたわ。」と笑いながらおっしゃった。 「でも年をとっても、音楽を聴く、絵を鑑賞するなどの芸術に触れることは耳・目・心の栄養として大切なんよ」とも。
 
私の仕事は宛名リストの整理と宛名印刷だった。途中年賀はがきが足りなくなり、出された上等そうな和紙のはがき・・・鳩居堂のものだった。 和紙への印刷はどうかなと思っていたが、案外どころか、年賀はがきの印刷より格段に良かった。画像はもともと和紙のちぎり絵をスキャンしたものだったからだろう。
 
印刷を終了した後、羊羹とお茶を頂き、さらにお土産にとクッキーとおかきも頂く。「それでは又何かあったら連絡してください。」と言って失礼した。 
 
老いてからの一人暮らしには、やはりサポートしてくれる人の存在が欠かせない。 近くの身内、親戚、友人そして、私のような臨時ヘルパー。 もちろん私のヘルプも無料ではないので、お金を確保しておくことも重要。 これは老夫婦2人生活にもあてまはる。 Kさんには上手な老後暮らし術を少しずつ教えてもらっている。 

えぼ鯛の干物

毎年、年末になると「えぼ鯛」を夫の実家と私の実家両方に送ることにしている。 
 
我々の実家のある富山では季節ごとに種類の違う新鮮な魚がお店に並ぶ。 そのせいか、小さい頃はほとんど干物を食べたことがなかった。 干物を食べたのは東京に出てから。 その頃食べていたのは主に鯵の干物だった。 それはそれでおいしいと思っていたが、H市に住み始めて「えぼ鯛の干物」に出会い、以来「えぼ鯛」を超える干物はないと思うくらい、えぼ鯛ファンになった。 我が家では、お客が泊まると必ず翌朝は「えぼ鯛」を出すことにしている。 
 
自信を持って「これが特産品です」と言えるものが少ないH市だが、この干物は絶対のお奨め品と思い実家にも送るようになった。
 
最近は需要が多いのか、魚が減ったのか、えぼ鯛の値段は年々高くなる一方。 スーパーには「中国産」もあるが、贈るとなると、やはり油ののった新鮮でおいしい干物がいい。 普段我々が食べる魚は、スーパーの魚ですませているが、この実家用「えぼ鯛」だけは、ちょっと遠くの魚屋さんに注文する。 この魚屋さん、娘の同級生の家なので、電話1本でおいしい「えぼ鯛」を送ってくれる。
 
昨日、早速両方の実家から「届いた」との連絡があった。「今回はいつもよりちょっと大きいね」と言われた。 今日魚屋さんに支払いに行く予定だが、お礼を言っておこう。

資源ごみ当番

今朝7時から8時まで、資源ごみ当番として家のそばのステーションに立った。 
 
私の町では資源ごみ回収は2週間に一度。家庭で出た資源ごみは缶金属類・ビン・紙類・衣類・牛乳パック・使用済み食用油の6種に分別し、それらを決められた最寄のステーションに出すことになっている。
 
このシステムが始まったとき、分別がしっかりされているかどうか確認するため、住民が当番でステーションに立つことになった。それからもう20年程経っているはず。 もうルールは守られているからと当番制をやめてしまった地区もあるのだが、私たちの自治会はなぜか続けている。 
 
当番は1年に2回ほどしか回ってこないので、さほど負担になるとは思えないのだが、高齢化・女性の社会参加などで、こういう当番はもうやめようという意見もちらほら聞かれる。 しかも朝7時~8時の1時間立っていてもその時間に持ってくる人はほんの2、3人。ほとんどの人が前日の夜または当日の早朝および8時半以降(朝の連ドラが終わる時間)に出している。 あまり立っている意味がないのは事実。
 
それでも、私はこの当番がそんなにいやではない。 当番はお隣さんと2軒一組。 朝の1時間、ゴミを持ってくる人も少ないため、お隣さんと近況報告やら世間話をすることができるからだ。 お隣さんと言っても、年代も違うので話をする機会もなく、買い物で出会っても「こんにちは」と挨拶する程度。 普段お互いがどんな生活をしているか、家族の様子はどうなのかなんて全く知らない。 私にとってゴミ当番の日の会話は大切な地域情報収集源なのである。
  
今日は右隣の家と一緒だった。 当番に出ているのは娘と同年代の○○ちゃん。 お勤めをしているので普段は滅多に会うことがない。 グループホームへ入ってしまった90歳を超えるおばあちゃんのその後も気に掛かる。 ○○ちゃんがどこにお勤めしているかも知らない。 そんなこんなをいろいろ聞きたかったのに、今朝はあいにく、やはり近所に住むおしゃべりなおばさんが来て、いろいろ喋っていったおかげで、○○ちゃんに聞きそびれてしまった。
 
来年の中ごろに回ってくる次の当番日まで待つしかなさそうだ。
 
 
 
 

友人Oさん

キルト仲間6人の集まりは毎月1度、公民館を借りて行っている。 ところが12月はあいにく予約できず、友人Oさんの家に集まることになっていた。 今年最後だから、お昼を一緒に食べようか・・・じゃあお弁当を頼もう・・・ということにしていた。
 
Oさん宅はモダンなセンスの大きな家。 物静かな奥様が住んでいそうな印象の家なのだが、実際の奥様である彼女はざっくばらんで合理的な考えの持ち主。 部屋を貸すことについても、「あ、いいよ」と軽く返事してくれていたので、こちらも貸してもらうだけだからと思い気楽に家に入った。 広い和室に入ると、テーブルにはクリスマス用のクロスが掛かっていて、壁には我々の合作キルトが飾ってある。 部屋の隅にお茶の用意も。 何となく準備が整っている雰囲気。
 
まず日本茶でお菓子をつまみながらおしゃべりタイム。 そろそろお昼かなと思ったとき、彼女が「散らし寿司」を運んできた。すし桶に綺麗に盛り付けられている。 そして頂き物と言いながら出てきた和風オードブル。 かき玉汁も作ってくれていた。 「お弁当でよかったのに」と言うと、「こっちの方が簡単なのよ」とさりげない。散らし寿司、オードブル、お吸い物、すべてとてもおいしかった。 食後は友人Hさんの差し入れ、「パンプキンケーキ」をいただく。 それにもおいしいコーヒーを出してくれる。
 
人を家によぶのはワクワクするし、掃除するきっかけになったりもして、嫌いじゃない。 一人か二人の友人がお客なら、大袈裟な準備もせずその場まかせだけれど、大勢だとおしゃべりに夢中というわけにもいかず、常にホストとして気を回す。 お茶を入れ替えたほうがいいか、食事を出すタイミングはどうか等。 又、ホストが台所にこもっているわけにもいかない。 すべてその日の流れを把握して準備しておかなければならない。
 
Oさんの気取らないざっくばらんな態度は、相手の気持ちを楽にさせる。 それでいて、神経細やかなもてなしも出来る彼女。 多分彼女はそれを意識して行っているわけではなく、ごく自然にできる彼女の能力なのだろう。 
 
Oさん宅に入る時、そっと彼女に渡した赤のマフラー・・・・私から彼女へのプレゼント。気に入ってくれるといいのだが・・・。
 
O宅を出て、近くの美容室(11cut)でカットをし、隣にある食品スーパーで買い物していたら、後ろからOさんの声。 振り向くと、首には赤のマフラー。 何よりうれしい反応だった。
  

久しぶりの映画

土曜日の午後、やりかけのものをすべてほったらかして、夫と映画を見に行った。
 
夫は時々ふらっと映画を見に行く。 何もすることがないと「映画でも見てくる」と出かける。一緒に行きたそうな顔をするが、私が忙しそうにしているからなのか誘わない。 時々、と言っても年に1・2回、手仕事に夢中になり出不精になっていることを反省してついて行く。 こんなときは、「やりかけ」をすべて凍結する。
2・3年前だったか、暮れの31日、お節の煮物を作っている最中に夫が映画を見に行くと言ったので、煮物を中断して一緒に出かけたこともあった。 
 
映画館はショッピングモールの中・・・モール内も映画館も、歳末・クリスマスの雰囲気でとてもにぎわっていた。  料金は夫婦どちらかが50歳以上だと、二人で2000円。 一人で見ると、クーポンを使っても1500円なので、かなりの割安。
見た映画は「硫黄島からの手紙」。夫の希望だった。
クリント・イーストウッドが監督した作品で「父親たちの星条旗」「硫黄島からの手紙」の2部作。残念ながらアメリカ側から見た「父親たちの星条旗」は見逃した。「硫黄島からの手紙」・・・映画は特にストーリに誇張もなく坦々と事実に基づいて描かれていた。 強い感動はないが、戦争のむなしさ・悲しさが静かに記憶に残るような映画だった。 
 
久しぶりに入った映画館。音の迫力を体全体で感じる。 やっぱりテレビにはない魅力だ。 次回は楽しい映画を見たい。 

コーラス忘年会

今日はコーラスの日。 今年最後の練習日で午前10時から1時間練習の後、忘年会。
豆腐料理のお店へ移動(車10分)。 参加者19名。 2時までアルコール+食事。
私、幹事役・・・・と言っても、お店の予約・集金・飲み物の注文・宴会の開会宣言まで。 支払いはもう一人幹事さんにお任せ。
その後、話し足りない人(10名)が近くのファミレスへ移動(徒歩3分)。 飲み放題ドリンク(231円)で約2時間ねばる。
その後、親友Kさん(コーラスの指導者)と一緒に徒歩10分で我が家へ。
7時半まで話す。 バス停まで送る。
Kさんと長時間話したのは久しぶり・・・・楽しかった。
 
 
 
 
 
 

千の風になって

日曜日朝、久しぶりに母と電話で話した。 私のブログを毎日読むことで満足しているのか、このところメールも来なくなっていた。 春から続いている咳が止まず、病院で診てもらったら「喘息」と言われたらしい。 肝臓も悪くて(○型肝炎)毎日注射をしてもらっている・・・・健康に自信がなくなっているようだった。
 
母・・・「私、死ぬのは全然怖くないけど、みんなと会えなくなるのが寂しい。」
私・・・「そういう未練があるうちは大丈夫だよ。」と軽く流した。 でも本当は胸がキューンと締め付けられそうだった。
母・・・「いっちゃん(姉の名前)にそう言ったら、『千の風になって』を聴くよう薦められた。」
 
そう言えば、姉は、夏に一緒にカラオケスナックへ行ったとき、この曲を歌っていた。 「いいでしょ、この曲。 好きなのよ。 歌っていて自然に涙が出てくる。」と言っていたのを思い出した。 夜、何だか気になって「千の風になって」をネットで調べた。 試聴した後この1曲を買った。 1曲ダウンロードで210円だった。
 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています
 
秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る
        ・
        ・
        ・
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
聴きながら、涙があふれて止まらなかった。 ティッシュボックスをそばに置いて何度も聴いた。
「こんな曲聴いたら、もっと悲しくなる・・・・。」今度、姉に言おう。

ただいま年賀状作成中

只今、年賀状作成中。
ノートパソコンを2階のアトリエ部屋に持ってきて、机のそばにあるプリンタで印刷している。
夫は昼寝中(夫はいつも自分の友人への宛名しか書かない)。
私はここ数年、3種類の年賀状を作っている。
夫の友人用
二人の親戚用
私用
夫の友人用には、ほんの2行ほどメモが書けるスペースを作る。 2行以上だと困るらしい。 その年登った山の写真を必ず添える。 今回は「大菩薩峠から撮った富士山」を使った。 前回は「槍ヶ岳」だった。
親戚用は夫用の年賀状をベースに、名前を連名にし、メモスペースを入れない。
私用はにぎやか。
その年の主な活動が人目でわかるよう、イラストや写真を配置する。
さらに、
2005年は大根で「正」をつくり写真にパチリ。 賀正の「正」にあてた。OLYMPUS DIGITAL CAMERA
2006年はさつまいもだった。さつまいも2006補正
さて来年は?  もう夏の間に写真は撮ってある。
   

 

マフラー完成! のはずが・・・

赤のマフラー4本がようやく完成した。
左は平織り。 右が綾織り。 中2本が綾の向きを変えたもの。
 
漢字教室の日、そんなに寒くなかったけれど、平織りのマフラーを巻いて出かけた。 
バスの終点から教室までの途中、駅を通るのだが、すれ違う人のマフラーばかりに視線が行く。 ガラスに映る自分の姿をちらちら見る。 マフラーの赤がさえてる・・・う~ん満足。
 
帰宅して、マフラーを手に取ると、房の撚りが少しほどけて来ていた。  あれれぇ~。
仕上げの工程は、房を撚る・縮絨(しゅくじゅう・・・お湯で洗って縮ませる)・アイロンなのだが、手織り教室では房を撚るところまでしか習っていない。 本を頼りに自分流にやったのがまずかったのか? 
来週なぜ撚りがほどけるのか先生に聞いてみよう。
 
 

漢字教室その後

漢字教室の日。あいにくの雨。 教室までは自転車だと15分だがバスなら30分はみておかないと心配。  早めに夕食の支度をして食卓にメモを残す。 塾の仕事をしていた頃は毎日そうだったので慣れている。 6時半に家を出、バス停へ。 
 
友達に月に一度でいいからと誘われて始めたものの、学習者の数に対応するボランティア教師が少ないため、結局当分毎週出ることになってしまった。 学習者の数と言っても、その週によってかなり差がある。 この2ヶ月で初めての雨の日。いったい何人来るのか行ってみなければわからない・・・・教室は無料だから来たり来なかったりが当たり前になっていると聞いている。
 
ボランティアを始めて3週目あたりから、教師同士の連絡が全くないことに気が付いた。 教え方も教師によって違う。 その不安を先輩教師にぶつけたら、「では話し合いましょう」ということになり、一度ミーティングを行った。 中途半端な組織運営に話が及ぶ。 不満は喉まで出掛かるが、言えば自ずとのめりこむのは分かっているので、ぐっとこらえる。 上手に運営されている組織のもとで活動したいが、組織運営を担うボランティアがいない現状では、仕方がない。 不本意ながら極力目の前のことだけに集中しようと切り替えた。
 
教室に7時到着。 学習者は三人。 一人は上級者で先輩ボランティアが担当。 中国人二人は男性ボランティアが担当。 私が担当していた初級の学習者は来ない。 8時まで待ったが来なかったので、結局先に帰らせてもらった。
 
こういうこともあるだろうと予想していたので、不思議と腹も立たなかった。 学習者も無料、ボランティアも無償。 両者の間にお金の利害が全くない。学習者もボランティアもいつでも休める・やめられるという逃げ口を確保しておきたいのだろう。 しかしこういうやり方がいいのか悪いのか・・・・。 
 
次回から、暇つぶし用の本も持っていこうと思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

夫の母

夫の実家から荷物が届いた。 お米・もち米・黒豆・小豆が入っていてずっしり重い。 実家は両親の代までは専業農家で、義兄が教職について跡を継いでからは、兼業農家。1年に数回、こうして収穫物が送られてくる。
 
早速お礼の電話をかけた。 お天気の様子から始まって、お互いの健康状態、孫の動向について、と話す内容はだいたい決まっている。 息子が一人で上海にいることを不憫に思っているようで、毎回「まだ転勤はないの?」と聞かれる。 
 
義父が戦地に行っていて留守の間にお嫁に来た義母。働き者の姑に仕え、長男夫婦が共働きのため孫3人をしっかり育て、そして今ようやく自分の時間を楽しめるようになったというのに、まだ孫の結婚を心配している義母。女はよくよく心配を背負いたいらしい。
 
「お義母さんも、元気そうで安心」と私が言うと、義母は「でも私ももう78歳よ。自分の年に驚いてる。 元気なんだけど、腰が曲がってきてねぇ・・ガラスや鏡に映った自分の姿を見るといやになる。」 
 
多分義母のその時の心境は・・・・「えっ! うっそ~! これが私? まだ気持ちは若いのに・・・。 ショック・・・。」
私も似たようなショックを受けることが多くなってきているので、この気持ちはよくわかる。精神の若さと肉体の老化とのギャップは開くばかり。 彼女の苛立ちが伝わってくる。
 
それでも私からみて義母はすごい。年を取ったと言っても足腰は農作業で鍛えただけあって強いし、好奇心も強い。 その証拠に、彼女はヨーロッパ・中国シルクロード・インドと様々なところを旅行している。 娘がスウェーデンに住むと伝えた時も、最初は「よ~く考えた方がいいよ。」と否定的だった。 ところがその後は「スウェーデンへ一度行ってみたい」と口にするようになり、まさか「一人で行ってらっしゃい」とは言えず、2年前義母に同行してスウェーデンを旅行した。
 
老いは避けられない。 しかし精神の若さは本人の気持ち次第で持続できる。 好奇心を持つことが彼女の前向きな生き方を支えているのだと思う。 

過去の冒険

知り合って日の浅い人と話すとき、「私ってどんな人間に思われているのかしら・・・・」とふと思う。 今の私・・・専業主婦、趣味は手織り・歌・水泳、子供二人、理解ある夫との二人暮らし、趣味三昧の日々・・・。 のほほんと人生を送ってきたように見える。 実際「のほほん」な部分が圧倒的に多いのだが、私だっていろいろ冒険もしてきました・・・とつい過去の冒険を語りたくなる。 

私の人生最大の冒険はかつて「お店」を持ったこと。 22歳・・・私は中野区沼袋で「とんかつとカレー」のお店を開店した。 資金は父が出してくれたが、店舗探しから開業までの準備はすべて自分でやった。 広さほんの10坪、カウンターのみで10席ほどの小さなお店。 最初はコックを雇った。 私がオーナーで彼は従業員。 私より年上の男性だったので、来るお客の中には「夫婦」と思う人もいた。 「心外」だと思いつつも、仕方がないと割り切っていた。 そのうち、コックの方がいたたまれなくなって、辞めて行った。 泣きたくなるような気持ちを奮い立たせ、アルバイトの女の子を雇い、私がコックになった。

お店は駅から歩いて3分、本通りに面していて、近辺には大学生の下宿も多く、経営は順調だった。 父から借りたお金もきちんと毎月返済していた。 朝10時~夜10時まで必死で働いた。 風邪を引いても休まなかった。 隣のラーメン屋に意地悪されて泣きそうになりつつも、歯を食いしばってウィスキーの箱詰めをラーメン屋に持っていった。  お店は3年間続けた。 楽しいこともたくさんあったが苦い経験もたくさんあった。 そして疲れて田舎へ戻った。 お店を売ったお金から借金の残りを引いても結構な額が残った。

お店を持った3年間は私の青春の冒険だったと思う。 純粋に自分の力を試したかった。 でも一生とんかつ屋のおかみになるつもりは全くなかった。 「とんかつ」を揚げながらも、「コック」になりきれない私、「経営者」になりきれない私を感じていた。 もちろんそんないい加減さでいつまでも続くはずがない。 あの時お店をやめて正解だったと思う。 おかげで、いい夫とめぐり合い素敵な家庭を持てたのだから。 

冒険が私に教えてくれたこと・・・自分の強さと弱さ。

 

生切り餅

娘に送ろうと思って買っておいた切り餅のパック。  前回の荷物作りのとき、全体の重さをぴったり○kgにするため、品物を出したり入れたりした結果はじかれたもの。 「こんなの送ったら太るかもしれない」とも思った。 結婚式を来年に控えた娘への思いやりだ。
 
ずっと台所のストック箱に置いたままで、気持ちはいつも「食べたいな」と「太る」を行ったり来たりしている。
 
富山は米どころ。 「おかき」などの米菓は私のふるさとの町の特産品でもある。 この少し塩味のついた生切り餅は、かつては真空パックなどなかったので、寒い冬の間しか食べられなかった。 生餅では長期保存できないため、薄く切ったものを縁側で干して「かきもち」にもする。 完全に干せた「かきもち」は、火鉢の焼き網の上で焼いて食べる。 
 
子供の頃の思い出が蘇り、つい買ってしまった「生切り餅」。 暮れには息子が帰国するので、そのときまでやはり封は切らないでおこう。

仲直りのしるし

日曜朝、夫がジョギング用のジャージがないと騒いでいる。
 
私「この間、新しいトレーニングウェアーを買ったばかりじゃない。なぜそれじゃいけないの? 」
夫「いや今日の気温で走るには、あのジャージがいいんだ。ブツブツ・・・・」
私「あのジャージ、もう古いので春に処分しちゃった。」
 
いつもならそこであきらめてくれるところが、昨日は機嫌が悪い状態が午後まで続いた。 初めは「虫の居所がわるいのかしら」程度に思っていたが、いい加減私も腹がたってくる。 「ああ、何でこんな人を今まで尊敬してたのかしら。」とさえ思う。
    
しかし、口をきかない状態も夕方まで。 相手はお腹が減ると自然に態度を軟化させてきた。 それにあわせて私も少し軟化する。 夫はこちらの態度が緩んだことを察しすかさず、「ねえ、このブックカバー作ってくれない?」と新しい洋書を差し出した。 こういうのに私は一番弱い。
 
一応仲直りのしるしとして、夕食後1時間ほどで作った。
文庫、新書の場合はほぼサイズが決まっているので、同じものをずっと使い続けられる。 だが、洋書の場合、出版社によって微妙にサイズが違い、その都度リクエストに応じて作ってきた。  夫の読書タイムは朝夕合計2時間の電車の中。 電車の中で、印花布に包まれた洋書を読むおじさんがいたら、それは間違いなく私の夫だ。 
 

手仕事 最小作品

一昨年の今頃、夢中になっていたものが加賀の指貫作り。 
「加賀の指貫」・・・かつて金沢周辺の縫い子さんたちが使っていた指貫。周りの絹糸の模様がとても美しい。
NHKのおしゃれ工房のテキストに出ていた写真に思わず、「出来る」と直感。 1個目は作り方のページとにらめっこしながら作ったが、徐々に慣れ、そしてだんだんエスカレート。 
 
小さな小箱に入れて、娘に送った。(青と黄色の指貫はスウェーデンの旗をイメージ)
 
娘は多分指貫を使うことなどほとんどないだろうが、日本の手仕事のよさを伝えたいと思う。
 
たくさんできるまでは誰にもあげない、と心を鬼にしてこつこつ作った私の最小作品。
 
ここまで作ったところで、充分満足して作品作りはストップ。
 
いつか再び作る意欲がわくかもしれないので、美しい色の絹糸は箱の中に大切にしまってある。

アトリエ生活の難点

子供と一緒の生活から夫婦二人だけの生活になってうれしかったことの一つは、自分の部屋が持てたことである。 家族4人がそろっていた時代は、とても自分用のスペースなど確保できず、居間の隅っこで編み物したり、食卓でミシンをかけたりして、絶えず手仕事は楽しんでいたものの家族への遠慮があった。 子供たちが巣立ち、彼らの部屋が空いたのでようやく私は自分の部屋を持つことができた。 小さなテレビ、古いラジオ、子供用タンス、机・・・・全部子供たちのお古だ。 娘が下宿生活で使っていた掃除機、アメリカ時代に購入した電子ピアノ、そして古いけれどまだ使えるパソコンも。 ミシンなど手仕事関係の道具も持ち込んだ。 今年6月に織機が運び込まれますます狭くなってきたが、居心地は最高。 冬は暖かな日差しのおかげで、日中は暖房が要らないくらい暖かい。 お茶とお菓子を運び、機織りに精を出す。 
 
時を忘れて快適空間にずっと・・・・と言いたいところだが、快適アトリエ生活にも難点が一つ。 生活のメイン機能はすべて階下にあるのだ。 トイレに行かないわけにはいかない。 お茶を入れるために台所へも行かなければ・・・。 階段を下りる。  
寒い! 冷蔵庫のように寒い!
台所も居間も冷え切っている。 我が家の1階は日当たりがあまりよくないこともあって、非常に寒い。 誰もいないので当然暖房もしていない。 かつて私の居場所で一番快適だった居間・台所はひんやりと寒く、暗く、静かだ。 寒い台所に立つと改めて今の自分が「お母さん」「主婦」から開放された時間を過ごしていることを自覚する。 お茶を入れるほんの2、3分寒さを我慢する。 マグカップ片手に、他に持っていくものはないかと確認し、階段を急いでのぼる。 
 
セントラルヒーティングの家は理想だけれど、どうせ「もったいない」と使わない部屋の暖房は切ってしまうかもしれない私。 快適アトリエ生活を続けるには、階段の上り下りも、冷え切った台所でのお茶入れもいまのところ止むを得ない。
 

スウェーデン放送合唱団クリスマスコンサート

久しぶりに夫とコンサートを聴きに行った。
「スウェーデン放送合唱団クリスマスコンサート」・・・秋に県立音楽堂でコーラスの発表をしたとき、パンフレット棚でこのコンサートのチラシを見つけた。 夫に見せたらすんなり同意。 私も夫も、娘がスウェーデンに住み始めて以来「スウェーデン」と聞くと反応が早く、つい飛びつく。  
 
私は、自分がコーラスをやっていること、なおかつスウェーデンファンという理由で、チケットを購入したものの、スウェーデン放送合唱団の名前は今まで聞いたことがなかったので多分観客は少ないのだろうと予想していた。 ところが会場に入って驚いた。 ほぼ満席。 後で調べて分かったことだが、何と今回が5度目の来日。この合唱団のファンも多いのだろう。 それにしてもさすが横浜というべきか、合唱愛好家が多いというべきか・・・。  年齢層は圧倒的に中高年。 男性も比較的多かった。 
 
演奏はもちろん素晴らしいものだった。 「ベルリン・フィルに匹敵する世界一の合唱団」と言われるだけあって、質の高い演奏だった。スウェーデン人は背の高い人が多いが、その体格からくるものなのか、力強くてしかもクリアな声は美しかった。 惚れ惚れする。 人間の声の魅力に酔いしれた2時間だった。 
 
残念だったのは、ほんの8ページほど(ほとんどが歌詞の日本語訳)のプログラムが500円と有料だったので買わなかったこと。 おかげで演奏している曲名が全くわからなかった。 合唱団の紹介と曲目紹介があればいいだけなのに・・・。  本当に観客に楽しんでもらおうとするなら、あらかじめチケットにプログラム代は含めておくべきだと思うのだが・・・・。
 
帰りがけ、夫と私の久しぶりのデートを記念してCDを買った。 ベルディの「レクイエム」 演奏:ベルリン・フィル 合唱:スウェーデン放送合唱団。
 
演奏終了が9時。 駅付近のレストランで軽い食事をとり、帰宅したのが11時。 最近は10時に寝ているのに、11時はきつい。 それからブログのコメントを書いて就寝したのは12時を過ぎていた。 コンサートに出かけるのも体力が必要だとつくづく思う。

失敗なんかこわくないぞ

赤のマフラー4本分のうち2本を織り終えたところで、模様を変えたくなった。 経糸は綜絖を通っていて綜絖の上下によって模様が生まれる。その通し順番を変えると地模様が変わる。手元の織物の本をたよりに、通しなおす。 午後約3時間かけて準備が整い、ようやく3本目を4cmほど織り始めたところで、「何かおかしい」ことに気が付く。 期待していた模様が出ていない。 もう一度本をよく見直すと、私の通し方が間違っていた。 ため息が出る。 またやり直し。 本来なら綜絖に経糸を通すときは、織機のパーツを数箇所はずさなければならないのだが、部分的に間違えているだけだったので、パーツははずさず、少し無理な体勢で直し始めた。 ところが体勢が悪いため、はかどらない。 しかも何度も間違える。 結局、途中で本来のやり方に戻す。 結局3本目を織る準備が出来上がったのが夜10時。
 
急いだことが結果として無駄な寄り道をしてしまうことになった。 しかし「何が無駄な寄り道だったか」がよくわかった。
教室では先生に「失敗したほう上達するのよ」と言われるけれども、先生がそばにいる限り何時間も無駄にするような大きな失敗はない。 もちろん自分勝手な冒険もない。 その点、家では教室で習うことから少しはみ出して冒険する分失敗も多い。
 
研究職の夫はよく「10年かかって一つの研究をしても、成功するとは限らない。しかし少なくとも10年間の研究結果は無駄ではなく、失敗の成果が次に生かされる。」と言っていた。 大学と違って企業の場合、そんな悠長なことは言っていられないのだが、研究する人の基本姿勢だろう。 
 
失敗を恐れないでもっともっと冒険しよう。 失敗から学ぶ姿勢さえ忘れなければ道は開かれる。

A HOME IS BUILT OF LOVE ALONE.

我が家の玄関脇にあるクロスステッチの額。
 
 
 
 
10年ほど前、アメリカでこのキットを買い、その後数年経ってから作ったもの。 布目が細かくて苦労した。
 
A HOUSE IS BUILT OF LOGS AND STONE.
A HOME IS BUILT OF LOVE ALONE.
 
私はこの言葉が気に入っているのだが、日本語で書かれていたら、こんな言葉はちょっと気恥ずかしくて玄関になんか飾れないかもしれない。 

いつもの笑顔で

「いつもの笑顔で」 (しゅう さえこ作詞 杉本真人作曲)
 
いつか幼いまなざしで
君に言われたことがある
ママの笑っている顔が一番好きだって
 
ドキリとしたその言葉に
返す言葉がなくなった
思いどおりにいかなくて
怒ってばかりの毎日
怒りんぼママなんて大嫌い?
 
そうね そのとおりかもしれない
いつもの笑顔で反省しよう
いつもの笑顔で歩き出そう
・・・・
・・・・

これは、現在女声コーラスグループで練習している曲の詩である。3月の市民合唱祭で発表の予定。しゅうさえこさんは、かつてNHK「おかあさんといっしょに」の歌のお姉さんだった人。 その後自作の歌をいくつか発表されている。 この「いつもの笑顔で」は「NHKみんなの歌」で放送されたらしい。  小さい子供を持つお母さんにはぴったりのこの曲。 子育てを終えた私には、子育て時代を懐かしむ曲であると同時に、今の自分に「笑顔が大切よ」と言ってくれる素敵な歌だ。

 
一人で過ごす時間が長くなったせいか、笑う時間、にこにこする時間が少なくなった。 そのせいか顔の筋肉もさらにたるんできたような気が・・・・。 むすっとした表情の自分を鏡に映し、反省、反省。 鏡の前で微笑んで見る。 ほほの筋肉を持ち上げ、口を心持ち水平方向に引き締める。そうそう、いつもこの笑顔で・・・。誰もみていないけれど、家事をするときも、パソコンに向かうときも、機織りするときも・・・ちょっと微笑んでみよう。 
 

アヴェマリアか焼き芋か

日曜日午後、夫、私はそれぞれの部屋で過ごしていた。 部屋の間のふすまは開けたまま。 夫がCDプレーヤーで聴いている音楽は私にも聴こえてくる。ちょうど「アヴェマリア」の曲が美しいソプラノで流れているときだった。
 
「やきいも~、や~きいもっ、い~しや~きいも。」の声。 だんだん近づいてくる。 「アヴェマリア」と「やきいも」が重なる。思わず夫と顔を見合わせ笑ってしまった。不思議とうるさく感じず、腹も立たず、「仕方がないね。」と焼き芋屋が通り過ぎるのを待った。
 
子供たちが小学生の頃はもっと頻繁に来ていた「焼き芋屋」。 「やきいも~」の声が聞こえると、決まって子供たちは「食べたい」と言い出す。 500円を持たせるとあわてて飛び出して行ったものだ。 冬になると「焼き芋」だけでなく、毎週聴こえるのが「北風小僧のカンタロウ」。 灯油を売る車が鳴らしている。 玄関先まで重い灯油缶を運んでくれるので、老人世帯にはありがたい販売車だ。 
 
子供の頃は、納豆売りのおじさんが朝早く売りに来ていた。おじさんの「なっと~なっと。な~っとなっと~。」はテノールのすばらしい声だった。 その声が聞こえるとあわてて玄関から飛び出し、納豆を買う。へぎ板に包まれた納豆がほのかに温かくとてもおいしかった思い出がある。 
 
「竿竹売り」「不用品回収車」(テレビ・バイクなどを回収している)も時々来るが、これらはうるさいと感じる。 来てほしくない。 とても身勝手だが、私は今のところ 期間限定・良品販売の呼びかけなら許せる。 

日本海側の冬

今朝から、空は晴れているものの雲が多い。 太陽が雲に隠れると、ふうっと薄暗くなり、それまで感じていた日差しの暖かさが急に消えてしまう。  太陽のありがたさをつくづく感じる冬の季節。
 
お昼少し前、居間にいた夫は「さて、ご飯が出来るまで2階の裏日本に行ってるかな」と言いながら階段を上っていった。
2階の日当たりのいい南側は私の部屋。日の当たらない寒い北側の部屋は夫の部屋。
私も夫も北陸出身。”暗くて寒い裏日本”という言葉が私たちの体には沁みついている。
 
北陸の冬は、雨・みぞれ・雪の日が多く、降らない日でもたいていはどんより曇り空。 太陽が顔を出す日は本当に少ない。 小さい頃、日本中・世界中どこでも冬は雪がふるものだと思っていた。 ところが上京して初めて迎えた冬、雲ひとつなく晴れ渡った日が続くことにものすごく驚いた。 「いったいこの違いは何なの? 自然地形が作り出す気象とは言え、不公平この上ない。」と思いつつも、当時日本海側が「裏日本」と呼ばれていることに妙に納得したものだ。
 
裏と呼ぶのは差別表現だから「日本海側」に変えたのだろうが、呼び名を変えたからといって、太陽が出てくれるわけでもなく、暗い冬の天気はは変わらない。 人々の雪の中での厳しい暮らしも変わらない。 父はよく「雪国に住む人々には”雪減税”が必要」と言っていた。 雪国の人々は、雪対策のためにどれほど余計な出費を強いられるか。 それでも雪国の人たちは自然が相手なのだからとじっと耐え工夫して生きている。 おいしいものを食べユーモアのある生活を心がける。
 
正午のニュースで雪のふる金沢の映像を見た。 金沢に近い私のふるさとの町にもきっと雪が降っているにちがいない。 これから始まる長い暗い冬、みんなおいしいもの食べて気持ちを明るく過ごしてほしい。
 
(タイトルを「裏日本の冬」と書いてUPしようとしたら、「この記事のタイトルには、禁止されている言葉が含まれています。禁止されている言葉をタイトルから削除してください。」と注意が出た。「裏日本」はもう使っちゃいけない言葉なんだ・・・・・)

ずれてる夫婦

夕べの食卓での会話
 
夫「風邪がまだ抜けないなあ。」
私「あなたはほんとに虚弱な体質ね。私なんかちょっと具合悪くてもプールへ行くと治っちゃう。」
夫「ええ? こんな体でプールへ行くとみんなに風邪をうつしてしまうじゃないか。」
私「あら平気よ、プールは消毒してあるから、細菌なんか死んでるよ。」
夫「でも風邪をひいたということは、僕は細菌より弱い。 プールは細菌を殺す。 つまり僕がプールへ入ると、死んでしまう。」
私「んん????」
 
夫は風邪気味だと言っていても、やはり仕事を優先する。 今朝も土曜日なのに、「データーの処理が・・・ブツブツ・・。」と言って、いつもどおり6時半に出かけた。平日、会社と最寄の駅との間はバスが運行されているが、土曜日朝はバスの便がない。
私「え? じゃあどうやって行くの?」
夫「歩いて。」
私「どのくらい時間がかかるの?」
夫「40分。」
私「ええええっ!」
 
夫と私・・・・体のつくり、体質、考え方、時間のものさし、すべてが違うから楽しい。
 
(追記・・・楽しいと思った私と夫はやっぱり完全にずれてる。)

我が家の冬色

数年前から数は多くないが実をつけてくれるようになった我が家の夏みかんの木。 みかんの黄色が増してきた。 実は酸っぱいけれど、マーマレードにしたら最高。今年の春は頑張ってたくさん作り実家に送った。 好評だったので来年の春も作る予定。
 
 
次の手織り作品は赤のマフラー。ただいま準備中。