年末東京ブラブラ散歩

日曜日、夫と東京へ出かけた。

まず八重洲地下街「ぼてじゅう」で昼食。

地下街でH&M発見。着心地の良さそうなカーディガンを購入。20141228b

続いて、前から行ってみたかった日暮里繊維街へ向かう。鶯谷で下車し、日暮里駅方面へブラブラ歩いた。

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でも、残念! ほとんどのお店がお休み。

日暮里駅近くのジーンズショップが開いていたので、フラッと入る。以前「somthing」のジーンズが好きで、穴があくまではいていたのだが、お店の棚にそのsomethingのジーンズを見つけ迷わず試着。うん、いい感じ・・・と購入。

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次に向かったのは、地下鉄根津駅から徒歩5分ほどのところにある、工房・ギャラリー「やぶさいそうすけ」

ここは若い女性が一人でやっている帽子工房で、完全オーダーメイドの帽子を作っている。頭の形・顔・その人の持っている雰囲気に合わせて、帽子の布・形を選んでくれ、採寸、仮縫い、仕上げまでを彼女がやってくれる。

私の手織りの布で私の帽子を・・・と思い、訪ねてみた。

実は彼女も富山県出身。義姉の紹介で知り合ったのだが、なんだかずっと前から知ってるみたいで、夫とともにお茶を頂きながらおしゃべりを楽しんだ。自分の布を持っていかなかったせいもあって、帽子のオーダーはここではできなかったのだが、次回は我が家に来てもらって、私の布・私の仕事部屋を見てもらう約束をした。

最後は八重洲ブックセンターへ。お互いに店内自由探索約1時間。

帰りの電車の中で

「今日は不思議と喧嘩しなかったね」

何が良かったんだろう・・・・・???

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夫婦湯たんぽ

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小さいのは私用で大きいのが夫用。(意図したわけではなく、単に2個目を買う時、サイズを間違えただけ。)

子供のころ豆炭アンカで低温やけどをして足にその跡がある夫は、使うのを少々ためらったが、湯たんぽをフェルトの袋に入れ、さらにバスタオルで念入りに包んでお布団に入れてあげたら、結構気に入った様子。

電気毛布や電気アンカの方が楽だが、手間をかけてる分だけ「やさしいぬくもり」が伝わる気がして、このところずっと使っている。

朝は、昔やったみたいに、湯たんぽのお湯で顔を洗う。これがまたちょうどの湯加減で気持ちがいい。おまけ付きでちょっと得した気分。

冬休みの仕事

あちこち属しているグループの忘年会もあと2つ残すのみ。

お風呂場の換気扇も交換したし、台所の換気扇も掃除した。窓ガラスは今日やっちゃおう。

世間では年末年始は忙しいことになっているが、私の場合、25日を過ぎたあたりから意外と暇になる。習い事がお休みになり、正月の来客もない私にとっては待望の冬休みだ。

私の冬休みの仕事予定

その1 急遽帰省したため、裁断したままになっていた自分用のジャケットを縫うこと。

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その2 羊の毛を洗う。動物園の羊毛・スピニングパーティで買ったハーフブレッド・そしてスピナッツで予約購入したチェビオット。全部合わせるとかなりの量。すでに動物園の毛からスタート。毎日400gずつ、冬休み中かかりそう。

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その3 長年父の面倒を見てくれた姉に感謝の意を込めてコートをプレゼントしようと思う。まずは糸作りから。完成まで数か月かかりそうなので、これもすでにスタート。

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その4 2枚目のベストにと紡いだ動物園の羊の毛。これも織らなきゃ。

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かなり欲張ってる気がしてきた。

換気扇の交換

書くことがないわけではないのに・・・・つい「明日」の癖がついてしまって。

先週、風呂場の24時間付けっぱなし換気扇のモーターを交換してもらった。

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取り付けられたのは6年前のリフォーム時。モーター音が少しずつ少しずつ大きくなっていることには薄々気付いてたのだが、ある日急に気になりだした。もしかして孫がトイレを怖がったのもこの音のせいかもしれない。

取扱い説明書によれば故障ではなさそう・・・でもかなりうるさい。取り換え時期っていつなんだろう?

業者に電話。

「どのくらいの音ですか?」の質問に、戸惑った。音の大きさを言葉で表現するのって難しい。

「孫が怖がるくらい」と答えたが、通じてるかなあ・・・?

「音がうるさくて交換する例はあるんですか?」

「そうですね、だいたいみなさん6~7年で交換されますね。」

う~ん、判断に迷う。だって壊れてないんだから。

でも、結局、交換することにした。

新しい換気扇・・・・お~、静か。

最初はこんなに静かだったのね。

もっと早く交換すれば良かったとは思ったものの、そのタイミングは未だによくわからない。突然止まってくれる方がわかりやすいのに・・・。

父のこと

父が亡くなって10日。

昔のことをいろいろ思い出している。

☆ ☆ ☆

母を怒る父が嫌いだった。

でも、母のストライキ中、自分でご飯をよそう父がなんだか気の毒だった。

女は家庭に入るのが一番と言って、4年制大学に行くことに反対した父(もっともこれは私の成績で判断したのだがろうが・・・)。

なのに、「東京でなら”とんかつとカレーの店”をやってもいいよ」と軽くつぶやいた私(当時22歳)の言葉を積極的に実現へと後押ししたのは父だ。

銀行は、5年で返済する借金を3年で返済すれば、次は倍の額を融資してくれる、と言いながら3年の返済計画を立ててくれた。自分は父から信頼されてるのだと感じた。

3年間必死で働いて借金を返したものの、結局疲れて田舎へ帰ることを決意。やっぱり、平凡でもいい、安定した収入がある家庭の主婦がいいと、今の主人と結婚した。結局父の言ってたとおりになった。

父が町議会議員選挙に出ることには反対だった。母が苦労するだけだから。

しかし4期も務め最後に議長を務めた父はやはり偉いのだろう。

母が入院中、家に一人ぼっちでいる父の話し相手をしていた時のこと。弟が仕事で活躍していることばかりを誇らしげに語る父。私のことには関心ないのね、と少し不満だった。が、それは言わずに黙って聞いていた。あれは私の親切心。

そんな父も、入院中の母にヘアーブラシ大のマッサージ器具を「頭の上に置いて」と言われ、何とその器具を母のおでこの上に置いて母を大笑いさせた。そんな天然ボケの父が好きだった。

こんな風に、いろいろ思い出はあるのだが、私が父と一緒に暮らしたのは18歳まで。私は父の人生のほんの一部しか知らないのだということに、思い出しながら気が付いた。

通夜、葬儀に集まった親戚、友人・知人、みんなの思い出を繋ぎあわせないと、父の全人生は浮かび上がってこないのだろう。

そもそも、子供といえども親のすべてなんてわからないのだ。

確実にわかっているのは、そして今言えるのは、

私は父のDNAを受け継いでいること、そしてそのことにとても感謝しているということ。きっとそれで十分な気がする。

☆ ☆ ☆

何か父の思い出のものを・・・ともらってきたものが2つ。

一つは巻物式絵手紙「楽らく絵日記」

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10数年前軽い脳梗塞を起こしたのだが、退院後母に勧められリハビリにと描いていた。

丁寧に表装してもらい、おまけに桐の箱に入っている。

この箱は確か5~6個あるんじゃないかな?

中の文章の3分の2は政治のことが書かれている。父らしい。

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毎日の絵の題材選びが大変、と母がこぼしていたっけ。

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あら、母の作ったお人形が・・・・良かった。

もう一つは漆塗りの万年筆

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インクはカートリッジ式ではなく、ポンプ式。インクはもちろん入ってなかった。

早速文房具店でガラス容器に入ったインクを買ってきた。

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「父」と書いてみた。

お~!  何と素晴らしい書き心地。

ボールペンになれてしまった手が驚いて、そして喜んでいる。

大切に使おう。

どうもありがとう。