義父が逝く

昨年の夏自転車に乗った姿で驚かせてくれた夫の父親98歳が、先週亡くなった。

この冬猛威をふるっているインフルエンザに罹患し、肺炎を併発。たった一日の入院で帰らぬ人となった。

義父が亡くなる直前、すでに義母がインフルエンザで入院していて、70年近く人生を共にした義父と最後のお別れが出来なかったのはとても残念なことだった。

T家ではインフルエンザはさらに広がり、葬儀の準備で忙しくしていた義姉も通夜の前日発熱。家の中でとは言え、隔離状態になってしまった。

普段から頼りにならない我々次男夫婦。駆け付けたところで大して役に立たないことは義兄も十分わかっている。すべてはしっかりものの義兄の采配で、通夜も葬儀も滞りなく終わることができた。

義父の急逝は残念ではある。が、98歳まで長生きし、しかも直前まで元気でいられての旅立ちは大往生と言うべきか。

通夜・葬儀の一連のセレモニーはしめやかに行われるものの、その後の会食の席では、家族・親戚のみのせいか、とても明るく賑やかだった。滅多に会えない親戚との会話も弾んだ。

富山は雪が少ないとは言え寒い。太平洋側の寒さとは比べ物にならないくらい寒い。北陸の冬はつらい、きつい、暗い・・・

だが、北陸の人間は明るい。厳しい寒さを吹き飛ばすくらい優しく明るい。

その明るい性格の私、実は、今回死ぬまで言われ続けるだろう失敗をやらかした。

通夜の最後、義兄が喪主の挨拶に立った。

「98歳という年齢での旅立ち・・・笛や太鼓で、とまでは言いませんが、あかるく送りたいと思います」とおっしゃったらしい

が、私には「あ」が抜けて「かるく送りたい」と聞こえた。でもとてもいいご挨拶と思ったので、通夜の会食の席で、

「お義兄さんのご挨拶はとてもご立派でした。”笛や太鼓でとまでは言いませんが、かるく送りたい・・・本当にそうですね」と私が聞いたままを言った直後、

「ええっ? Yukoさん、耳が遠くなったがけ(富山弁)?「軽く」なんて何てことを!「明るく」と言ったんだ。」とお義兄さん。

あちゃ~、これは一生言われるなあ・・・

翌日の葬儀後、義兄に「あの話、落語のオチとして使わせてもらうから」と言われ、ちょっとだけホッとしたのだが・・・。

来月末、49日の法要で再び富山へ行く予定。

今度は失敗しないよう、耳をダンボにしていよう。

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北陸新幹線の車窓から見た冬の剣岳↓

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