好きな景色

ふるさとの駅に貼ってあるポスター
棟方志功は疎開のため1945年~1954年までの9年間、
私のふるさとの町で暮らした。
「彼はこの町の自然をこよなく愛した」とWikipediaにある。
 
町の自然とは
山や川、田畑、のことを指すのだろうか・・・・
 
町中に育った私には、これらの自然が十分に体にしみ込んでいないせいか、
今でも帰省すると視線は町中に集中する。
 
今回もそうだった。
 
両親の住む家から、姉の住む家まで歩く。10分ほどだ。
先日NHKの「ふるさと発見」で中継された新町を通る。
 
この通りからいくつもの小路が伸びている。
人一人がやっと通れるくらいの細い細い通り。
 
こっちにも
あっちにも
 
     
大きい通りと通りをつなぐ、小さな通り。
車のなかった時代の名残りだが、今でも人々が使う大切な道。
近代化と称する区画整理などは、絶対してほしくない。
 
お昼、姉といっしょに蕎麦を食べに行った。
かつては魚屋さんだった場所だ。
魚屋は廃業され、土地・建物は別の人に移り、現在は蕎麦屋。
 
客間だったところがそのまま使われている。
かなりの資産家だったようで建物内部は立派だ。
 
 
客間と奥の蔵に挟まれた中庭
 
玄関の天井  
時代の変遷に左右されない、頑固な美しさがある。
 
帰省するたびに好きな景色を発見する楽しさを味わう一方で、
不況、少子化、高齢化、過疎化にあえぐ故郷の行方が気になる。
 
この先、
この駅に

大勢の人たちが降り立つ日が来るのだろうか・・・
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うっそ~・・・まさか・・・すごい

7・8月は高校野球の季節
野球ファンならずとも、大会中一度や二度は球児たちの熱戦を目にし、
彼らからその熱いエネルギーのおすそわけをもらう人も多いのではないか。
 
我々夫婦も例外ではない。
 
甲子園大会が始まると、全出場校に目を通す。
注目校はもちろん現在住んでいる県・神奈川県の代表校と、ふるさと富山県の代表校だ。
 
神奈川県は出場高校数189。
強豪校が多く、かつての優勝校がいくつもある。
今年は横浜隼人  春夏通じて初出場だというが、
かなりの実力を持っているのだろう。
 
一方富山県の出場高校数は52。
少ないから弱いとは言えないが、実際弱い。
たいてい1回戦敗退で終わる。
2回戦まで行こうものなら、大騒ぎになる。
 
そのいつも弱い富山県を応援しながら、
決まって我々が口にするセリフ。
「もしも、万が一にも福野高校が出場したら、おれ会社休んで甲子園へ見に行くよ。」
「もしも、万が一にも福野高校が出場したら、寄付金の額すごいんじゃない?」
 
 
福野高校は我が母校、いや我々夫婦の母校だ。
(現在は南砺総合福野高校と名前が変わったらしい)
創立110年を超え、卒業生は25000人。
我々夫婦だけでなく、私の父も、夫の父も、さらに夫の兄も、兄嫁も、甥も姪も・・・
と卒業生だらけ。
今はどうか知らないが、かつては県下有数の進学校でもあった。
これまでスポーツが強いなんて聞いたことはなく、
甲子園出場の可能性など限りなくゼロに近いので、万が一の夢を語り合っていたのだが・・・・
 
 
富山県地方大会の決勝戦が昨日行われた。
  高岡商 × 南砺総合福野
 
甲子園に何度も出ている高岡商業を相手に、
な、なんと、この南砺総合福野高校が勝った
 
第1報は姉から。
ものすごく興奮していた。
 
次に義兄から。
 
そして、毎日一緒に高校へ通った親友Kちゃんからメールが。
 
夜再び姉から。今度はメール。
なんと、号外が出た!
 
町中大騒ぎらしい。
 
生きている間にあるかないかくらいに思っていたまさかの母校甲子園出場。
 
夫は「皆既日食より興奮する!」と言っている。
 
さて初戦はいつ?
 
なんだか熱くなってきた。
 

ふるさとの春祭り・・・Part3

ふるさとの祭りのメインはやはり神輿の巡行だ。
 
重さ、1トンとも1,5トンとも言われる神輿を
厄年(数え年25歳、42歳、61歳)の男たちが担ぐのだ。
 
担ぎたい人が担げる都会の祭りと違い、よそ者・厄年でない者は絶対担げない。
 
年々担ぎ手が減っているため、各々の肩にのしかかる重さは相当なもの。
今年の担ぎ手は総勢120名。 35名ずつ交替で神輿を担ぐというから、
単純に計算しても最低30kgが肩にのしかかる。
朝8時に神社を出発。町中を巡行し、夜8時に神社に戻る。
 
「よいやさっ!よいやさっ!」の掛け声とともに、男たちが走る。
彼らの残されたすべてのエネルギーが沸き立つ瞬間だ。
見ているこちらも、ワクワクドキドキ。
 
ところで、この神輿巡行は大切な町の神社・宇佐八幡宮の神事である。
剣鋒を持つ人たち
神主の手には笙や笛
 
単に人が集まるイベントを「祭り」と言ってしまう昨今だが、
本来、祭りとは神や先祖を祭る行事のことなんだ、とあらためて思い知らされる。
 
そして、これまでH市の七夕まつりを見るたびに感じていた物足りなさの理由もクリアに。
 
ふるさとの祭りには
神事としての厳粛さ、伝統への誇り・責任感、そして人々の繁栄・平和への祈りがあるのだ。
 
小さな町の、大きな祭り・・・いつまでも続くことを願う。
 
そして、
 
まだこの祭りを見たことのない私の子供たちに、機会があれば是非見てもらいたいと思っている。
 

ふるさと春祭り・・・Part2

春祭りの出し物は
神輿・獅子舞・庵屋台の3つ
 
神輿の話題は明日に回すとして・・・
先に庵屋台の紹介を。
 
子供のころは「屋台」とだけ呼んでいたが、
正式には「庵屋台=いおりやたい」というらしい。
京や江戸の料亭を模して造られていて、
下部は水引幕で覆われ、その中に街の若衆が入り笛・太鼓・三味線を弾き庵唄を唄う。
 
でも今は屋台の外で演奏しているようだ。
 
 
提灯がつけられているので、夜の方が断然きれい。

後ろの男たちの法被もいい。
今はすっかり静かになってしまった中心街も、往時はさぞにぎやかだったに違いない。
 
屋台には晴れ着が似合う。
町で見かけた女の子
子供のころの私もこんな感じだったかな?
 
 
あの頃、晴れ着を着て、露天の並ぶ神社境内へ行くのがどんなに楽しみだったか・・・・
晴れ着を着た子は少なかったけれど、境内はあの時の雰囲気とちっとも変っていなかった。
 
 

ふるさとの春祭り・・Part1

40年間、記憶の底に沈みこんでいたふるさとの春祭り。
ふと、見たくなった。
 
数年前までは4月15日と決まっていた祭りの日が、4月第3日曜日に変わったという。
だったら、行ける。
母の見舞いを、あえてお祭りの日にあてた。
 
幼いころ興奮した春祭り。
笛や太鼓に心躍り、神輿・獅子舞・庵屋台のどれもが子供の目には恐ろしいくらい大きかった。
あの時の興奮を再び感じられるだろうか・・・
 
我が故郷・F町(旧町部)の人口は約4千人余り。
減り続けている。
かつてにぎやかだった町の中心部も、
今は郊外に次々とできる大型店に客足を奪われ、さびれる一方。
過疎・経済不況とくれば、お祭りも廃れているかもしれない・・・そんな不安も少しばかりよぎる。
 
実家に着いた翌日の4月19日、早朝の花火で祭りが始まった。
F町の春祭りは、200年以上続くと言われる宇佐八幡宮の春季祭礼。
春祭りを迎える家々のしつらえは格調高い。
 
私の好きな一角
 
表は絶好の祭り日和
8時を過ぎると、もう表からから笛と太鼓の音が聞こえてきた。
心が躍り出す。
ああ、もう落ち着かない。
「見てくるっ!」と、両親との会話を中断し、表へ飛び出した。
 
おお~、来てる来てる。
玄関前に、獅子舞の子供がいた。
 
日中、町のあちこちで獅子舞に出会った。
このような獅子舞は全部で5つあり、
町の隅々まで練り歩き、家々の前で舞を披露する。
 
獅子頭・・・かなり重いらしい。
 
夕方披露される、大人の獅子舞・・・剣舞と言った方がふさわしい。
力の入った舞に大きな拍手が送られていた。
 
子供がいなくて、獅子舞が出せなくなってしまった地域が多い中、
この大切な伝統を守り継続している故郷の人々に心からの「ありがとう」を伝えたい。